ジャマイカの歴史

ジャマイカ歴史年表

1494年

コロンブスによって発見される

1534年

現在のスパニッシュタウンに、スペイン人が首都を建設

1569年

エスキヴェルの征服による、スペイン統治による植民地になる

1655年

スペインの植民地からイギリス植民地となる

1734年

第一次マルーン戦争

1795年

第二次マルーン戦争

1807年

英国議会によって、アフリカ、ジャマイカ間の奴隷貿易廃止

1833年

英国議会により、奴隷制廃止法案が可決。7歳未満の子供の自由が認められる

1834年

奴隷解放宣言がされる

1838年

ジャマイカ人が、完全なる自由を手にする

1842年

ジャマイカ農業組合が設立される

1845年

ジャマイカ鉄道の開通

1869年

キングストンに首都が移される

1961年

イギリスに独立を願い出る

1962年

独立国家ジャマイカが誕生

 ジャマイカという国は、1494年の5月4日、西側に初めて、スペイン人である本名クリストバル・コロンという人物、いわゆる通称、『コロンブス』によって発見されました。そして、その島の先住民族であった『アラワクインディアン』に「この島の名前は?」と、聞いたところ、アラワクインディアンの言葉で『木と水の大地』という意味の『ザイマカ』と答えたのが、現国名の『ジャマイカ』語源とされていて、ジャマイカの歴史が、始ります。

 その時点では、ジャマイカは、スペインの女王の名の下に、スペイン本国と併合されましたが、実際には1509年から、植民地化が進み、1534年に現在のスパニッシュタウンにスペイン人が首都を建設し、都市として発展する。この頃から砂糖とアフリカの奴隷がジャマイカに運ばれる。1569年、『エスキヴェルの征服』により、スペイン統治による植民地になります。アラワクインディアンは、平和的で、激しい労働をする習慣が、なかったのにもかかわず、スペイン人による略奪、強制労働、スペインから持ち込まれた病原菌にて、わずか50年間で、10万人いたアラワクインディアンは、全滅してしまいます。

 そして、そのアラワクインディアン全滅の為に、現在のジャマイカ人のルーツにあたる、アフリカ人が、強制労働の為に西アフリカから、奴隷として連れてこられます。この頃から、奴隷貿易も盛んになり、その後、1655年には、スペインの植民地から、イギリスの植民地として、支配されるようになり、お砂糖や、ジャマイカの代表的なお酒『ラム酒』の原料となるサトウキビ産業や、『ブルーマウンテン』で、有名なコーヒー豆産業も盛んになり、奴隷貿易が、更に加速していきます。そして、1800年代に入り、その奴隷制度に対する反対運動が、あちこちで、起こり始め、それを受け、1807年に英国議会により、アフリカ、ジャマイカ間の奴隷貿易が、廃止されます。それまでの115年間に、100万人を越える奴隷が、アフリカから輸入され、この時点で約32万人の奴隷が、ジャマイカには、存在していました。そして、『マル−ン』と呼ばれる黒人奴隷解放活動家達の反乱も盛んになり、1833年、英国議会により、奴隷制廃止法案が、可決され、7歳未満の子供が、自由を認められます。それでも、従弟制度は続きましたが、1834年、奴隷解放宣言され、1838年、晴れて、329年間続いた奴隷時代から、ジャマイカ人は、完全なる自由を手にする事になります。

 ただ、これを切っ掛けに、今まで、奴隷の強制労働により、盛んだったサトウキビ産業などが、これに供なり労働力の低下に繋がりました。その為に、イギリスが、運営していた、『東インド会社』は、今度は、奴隷としてではなく、『ク−リ−』と呼ばれる低賃金労働者達として、インド人をインドから大勢雇うようになり、ジャマイカ産業の大きな労働力となります。この時点で、インド本国から、今やジャマイカの象徴的存在であり、後にレゲエミュージックや、ラスタの思想にも多大な影響を与える事になる『マリファナ』という、吸うと幻想的な幻覚を見る事が出来るTHCという成分を含んだ大麻が、持ち込まれます。この『マリファナ』は、ジャマイカでは、インドの聖なる川ガンジス川から、来た物として、『ガンジャ』と呼ばれています。未だによく勘違いしてる人も多いんだけれど、ジャマイカは、決してマリファナ吸い放題のマリファナ天国ではなく、ジャマイカでも、日本と同じ非合法の物とされています。ただ、日本と違うのは、持ち込まれた当時は、煙草より、単価が、安くて、労働者や、『ラスタファリアン』を中心に吸ってる人が、大勢いました。

 その後、今まで、奴隷だったジャマイカ人もいきなり、企業を設立したりする事は、難しかく、イギリスの企業が、多く介入していたのは、もちろんの事ですが、1842年ジャマイカ農業組合設立、1845年、ジャマイカ鉄道開通とだんだん発展していき、ジャマイカ人も自分の土地を持ち始め、その後、しばらく平穏な日々が続きました。1869年、スパニッシュタウンからキングストンに首都が移される。自由貿易のあおりで陰りを見せていた砂糖に頼ったジャマイカ経済は安価なバナナで一旦回復するが20世紀に入ると度重なる天災に加え世界恐慌の打撃を受けたジャマイカ経済は多くの失業者を生む。第1次世界大戦、第2次世界大戦の打撃を受けた後も機械産業の発展により、ジャマイカ独自の道を歩み始め、音楽産業も西側からのラジオ、レコードの輸入により、発展していきます。1961年、英国に独立を願い出て、翌年、1962年8月6日、独立国家『ジャマイカ』が、誕生することになります。

 

 

[トップページに戻る]