レゲエ
ジャマイカの人達は奴隷としてジャマイカに連れてこられた人達でした。連れてこられた人達の中から、アフリカに帰ろうっていう歌を太鼓をたたきながら歌っていたNYA YA BINGIという運動団体が出て来てラスタマンの運動が始まります。このNYA YA BINGIという団体が歌っていた歌がレゲエができるきっかけになった音楽といわれています。 JAHのためにラスタファリアン達によって生まれた新しい音楽が進化していったのがレゲエミュージックです。おそらくラスタマン達はレゲエは神の音楽あるいは反逆者音楽というでしょう。ラスタミュージシャン達はレゲエにより神を賛美し、愛を伝え、彼等の聖地とされる“ザイオン(エチオピアかアフリカ)を称え抑圧された人々の気分を高め、母国への帰還を求めて外へと叫びバビロン達のを見下して歌うなどポジティブなメッセージを伝道している。そもそもレゲエはラスタファリアンコミュニティー達のナンビヤビンギーのドラマー達(アフリカのリズム)から始まりルーツレゲエに発展し、その後ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズがジャマイカのゲットーからルーツレゲエを最初にヨーロッパへと広めそれがきっかけとなってレゲエが世界に広まり、世界的にポピュラーな音楽へと発展していったのいです。最近良く耳にする、ダンスホールレゲエは100%ラスタファリアンでは無かったジャマイカのMCやDJ等によってルーツレゲエのリズムやトラックが進化していまから20年ほど前にうまれました。